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意識を意識する思考実験「哲学的ゾンビ」

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はじめに

「意識とはどこにあるのか?」
「そもそも、本当に存在するのか?」

考えたことがあるだろうか?
「意識があるのはあたりまえ」すぎて考えたこともないだろうか?

有名な哲学者デカルトは
「我思う、ゆえに我あり」
といった。


そして、これを哲学の公理(明らかに確からしい事柄)にしようと考えた。
ようするにデカルトも
「我(意識)は当然あるものだ」
と考えていた。

しかし、哲学は
「本当に○○なの?」
と常に何事も疑っている。
当然、意識という存在さえも疑った。

そこで生まれたのが今回の思考実験
「哲学的ゾンビ」
である。

思考実験とは

思考実験とは
「○○したら××になるんじゃないの?」
と考えることである。
何も特別なことじゃない。
たとえば、あなたも「あなたの感情」に対する思考実験を常に行っているといえる。

映画を見に行くという行動を一つとってもそうだ。
映画を見に行くかという判断をするとき、
「私は楽しいと感じる」という結論を出す。
それが正しいと考えたからあなたは映画を見るわけで、
「この映画を見てもつならないだろうなぁ」と考えたら見ないだろう。

「なんだ、思考実験なんて大したことないな」
と思うかもしれないが、学問や研究をする上ではとても重要なことだ。
たとえば、
「重い物質と軽い物質どちらの方が早く落ちる?」
という問題があったとき、思考実験さえできれば簡単に答えを導くことができる。

こういった思考実験をしてみよう。
「0.5Kgのパラシュート、1Kgのボーリングの玉を落下させる」
このとき誰でもボーリングの玉が先に落ちることがイメージできるだろう。
では
「ボーリングの玉にパラシュートをつけた1.5Kgの物質を落下させたらどうなるだろう?」
これも簡単にイメージできるはずだ。
パラシュートが開き、ボーリングの玉単体より、重くなったにも関わらず、落ちるスピードは遅くなる。
このことから落下スピードは
「重さではなく、空気抵抗で決定する」
ということが予想できる。

哲学や物理学の天才と言われる人たちは総じてこの思考実験が上手だ。

哲学的ゾンビとは

ゾンビといっても
「うぁぁー」
と唸りながら人間を追いかけている、あのゾンビではない。
哲学的ゾンビは見た目は普通の人間だ。
そして反応も普通の人間だ。
じゃあ、何がゾンビがと言うと意識、感情が無い(ゾンビな)のだ。
哲学的ゾンビとは
「意識だけがゾンビな(死んでいる)人間がいたらどうだろう?」
という思考実験だ。

たとえば哲学的ゾンビが映画を見たとき、
「すごく感動する映画だったね」
といいながら、泣いていたとしよう。
あなたは「そうだね」といいながら共感するだろう。
ただ、このとき哲学的ゾンビはまるで感動していない。
まるでリトマス試験紙がアルカリ性の水溶液に青くなることで反応するように、
感動する映画を見る

泣きながら「すごく感動する映画だったね」と言う
という反応をしただけだ。

さて、あなたはこの人間を、
哲学的ゾンビじゃないと気づくことができるだろうか?
そしてあなたの周りにいる人々を、
哲学的ゾンビじゃないといえるだろうか?

そうしたらこう答えるだろうか、
「私は意識がある。私と同じ人間であるから他の人も意識があるでしょ、そもそも哲学的ゾンビなんて空想の生き物でしょ?」

もっともな意見だと思う。
同じ人なら意識はありそうだ。
でも、考えてみてほしい。
哲学的ゾンビは本当に空想の生き物だろうか。
現在AIが発達して、iphoneにはsiriというAIがいる。
もし、まるで人間と同じ見た目の外国人で、あなたの好みの異性の人形に
siriが入っていて、
英語での会話なので会話が少しかみ合わなかった場合、あなたはその存在を意識がないと意識できるだろうか?
そして、科学が進歩すればその存在は、より意識があるように振舞うだろう。
哲学的ゾンビは今後確かに生まれる可能性がある。
哲学的ゾンビが存在するとしたら、
意識とは一体どこに存在しているのだろうか?

続く(意識はどこに存在しているのか?)

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